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PDインタビュー
  ポリマーダイジェスト誌より再録

 白川 英樹 博士
                                    2001年9月号「ポリマーダイジェスト」掲載

ノーベル化学賞を受賞して

    ―神原周研究室と私の出発点



                 聞き手・三森義道




白川英樹博士と三森編集長

〈メモ〉
 白川英樹博士は2000年にノーベル化学賞を米2教授と「導電性高分子の発見と開発」に対して授与された。この栄
 誉はわが国のマスコミにも大きく取り上げられ、メジャーな舞台での講演、インタビューなども幾つか行なわれたが、
 博士が筑波大学名誉教授であったため、筑波大学教授時代を紹介した報道が多かった。本誌はノーベル賞受賞
 以前に上記関連テーマで博士の論文を寄稿していただいたこともあり、また三森編集長が故神原周先生のお祝い
 の会などで面識があったので、これまであまり報道されなかった東京工業大学時代のことにしぼってインタビューを
 お願いし、2001年8月にインタビューが実現した。


白川先生のノーベル化学賞受賞、ポリアセチレンをはじめ導電性ポリマーの研究については、ご著書を書かれ、また雑誌でも特集が刊行されています。そこでこのインタビューでは、白川先生が東京工業大学で神原周研究室に属されていたこと、故神原先生は1979年から99年まで20年間にわたって「ポリマーダイジエスト」誌に毎年新年号の巻頭稿を執筆されるなどと縁が深かったので、神原研時代の思い出を話していただきたいと思います。


白川 私が東京工大を志望したのは、単科大学で比較的こぢんまりした大学だったことと、漠然とでしたが化学を学びたいと思ったからです。卒研のときになって、講座の定員は6人でしたが、希望者の多い神原研究室には入れず、金丸先生につくことになりました。

 なんでも、ジャンケンで選んだという話を聞ました。

白川 そうなんです。何人超過していたのか記憶がはっきりしませんが、私は負けてしまい、金丸研究室で物性研究の一年を過ごしました。大学院に進む希望をもっていたのですが金丸先生は退官される年でした。そのため、神原先生とお話するようにといわれ、大学院では神原研究室に入ることになったのです。当時、工大での人員構成は、教授、助教授、助手3、技官1で、神原教授の下で池田朔次助教授、山崎升助手、籏野昌弘助手、もう1人の山本明夫助手は留学中だったと思います。もう神原先生は直接は実験指導に当たっていなくて、ゼミや実験結果の討論、外来の客を実験室に案内するなどをされていました。院生で私と同期は玉置晃弘君で、それぞれ池田先生か3人の助手の誰かに配属されることになって、玉置君は池田先生の下でアセチレンの重合を研究することになりました。私は山崎先生か籏野先生かのどちらかに配される可能性があったのですが、合成に主眼をおいたせいもあったのでしょう、山崎先生につくことになりました。山崎先生は神原先生以来の伝統であるゴムの研究をされていましたが、新しいテーマとしてブロック共重合体を選び、そこで新しいタイプとしてポリエチレン鎖を一つのブロックに、ポリスチレンを一つのブロックに、という目標を立てました。当時はやりだしていたリビングアニオン重合法で合成した両末端がアニオンのポリスチレンやポリ・α・メチルスチレンを一方のブロック鎖とし、これにノルマルパラフィンの両末端がハロゲンになったものを縮合させました。こうした研究を5年間やって、私の修士論文、博士論文になりました。

 このころはまだ薄膜状のポリアセチレンは出現しませんね。

白川 まだです。しかし、同期の玉置君がアセチレンの重合のメカニズム、反応の研究をしていましたし、一方、隣の部屋では籏野先生が有機半導体としてのポリアセチレンの物性をやっています。したがって、神原研全体としては、ポリアセチレンの研究をずっとやっていた、といえます。

 神原先生はご自宅や別荘などによく学生を呼んで集まりをやられたそうですね。

白川 ええ、しかし神原研で私は唯一人、マージャンも将棋も碁もやらない人間で、ついにそういう会に参加しませんでした。お正月にご挨拶にうかがう程度です。
 神原先生が定年退官されたあと、池田先生が教授になり、その時私は助手になることができました。同期の玉置君は、会社から奨学金をもらっていたので就職しました。そこで、助手になった私が玉置君のアセチレン重合の研究を引き継ぐことになったのです。これがポリアセチレンとの出会いです。付け加えますと、籏野先生は東北大学に移られて、工大での高分子半導体の研究は消滅しています。この年、私は神原先生ご夫妻の媒酌で結婚しています。助手になってすぐのことです。

 私どもで出版した神原先生のエッセイ集『新しい発想のために』のなかに、「夢は広がる導電性ポリマー」という一文があり、これは1983年1月に発表されたものです。原稿をいただく時に導電性ポリマーの話をされ、その時白川先生の研究について、これはノーベル賞級の仕事である、といわれていたことを記憶しています。

白川 1983年ですか。神原先生は新しいアイデアを思いつくとすぐに周囲の人に話される人ですが、どんなふうに考えておられたか、わかりませんね。先生は言わないのですが、ある年の仲良し会(神原夫妻の媒酌で結婚式をあげた人たちの集まり)で、横浜ゴムの影山さんが、「君はノーベル賞候補者だから先生のとなりに……」といって、私を先生と並ばせたことがありました。私は面食らって困りましたが、たびたびそんなことを言われたものです。影山さんは神原研の先輩ですが、大学で私がエスペラント部に入ったときの先輩でもあります。
 神原先生は、実験を離れてからもよく勉強されていたようですね。枕元にケミカルアブストラクトを置いて、いつも世界の研究動向に注意されていたようです。

 話題を変えますが、現在のお仕事についてお聞かせください。

白川 1月6日に発足した内閣府総合科学技術会議の議員です。この会議は総理大臣を議長に、関係閣僚7人、有識者7人で構成されています。私は当初非常勤だったのですが、4月から常勤となり、毎日この庁舎に出勤しています。任期は2年です。日本の科学技術に関する施策を決定すること、関係予算の配分、企画立案などの総合調整を行なう機関です。大型プロジェクトの評価をはじめ、なかなか守備範囲が広いのです。正確には『内閣総理大臣および内閣を補佐する知恵の場としてわが国全体の科学技術を俯瞰し、各省より一段高い立場から、総合的・基本的な科学政策の企画立案および総合調整を行う』となっています。

 大学を定年退官後は静かな生活をなさる、というご計画のようでしたが…。

■白川 そのつもりでしたが、すっかり様変わりしてしまいましたね。あまり思いどおりにはならないものですね。

 人文科学を含むわが国の総合頭脳ともいうべき重責である。東京・霞ヶ関の中央合同庁舎4号館7階にある白川先生の部屋からは国会議事堂の正面が見える。いっそうのご精進を期待したい。


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